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日本百名山巻機山への登山は清水に宿泊が便利です。

清水集落について

清水の概要

清水遠望

清水集落について
 巻機山の麓の豊かな自然に囲まれた清水にある民家は現在は17戸で、半世紀前に比べ戸数人口とも半減し過疎化が進んでいます。民宿も最盛期には10軒あったのですが、今は5軒になってしまいました。清水の住人の姓は、阿部さんか小野塚さんのいずれかで、外部からの人の出入りの少ない濃い血縁でつながった集落であったことが伺われます。今から半世紀前までは、集落の周辺では棚田で稲作が行われ、山林の樹木は炭焼きのため伐採され、山菜採りやキノコの栽培、熊などの狩猟、西谷後では牛の放牧などの山仕事が行われ、古くからの山村の面影を残していました。また旧国鉄の信濃川発電所から首都圏の鉄道に電力を送るため、清水峠沿いに送電線が設けられ、送電線の維持管理のための監視所が清水峠に置かれ、清水の住民が国鉄の職員として交代制勤務で監視所に詰めていました。清水への交通は冬期になると道路は雪で覆われ、バスの運行も中止されて陸の孤島となっていました。  しかし高度成長の時代に入り、炭や薪などの燃料が化石燃料に代わり、炭焼きが無くなり灌木で覆われていた山林では樹木が高さを増し、国の減反政策により棚田は原野に戻りつつあります。山仕事の衰退、JRの送電線保守の無人化などで雇用の機会も減っていきました。道路の整備が進み通年の交通が確保されるようになり、多くの清水の住人は、仕事を求め下流の市街地へ通勤するようになりました。
 標高600m前後の集落には、冬場には4m近い雪が積もります。何カ月もの間、毎日のように家の周りの除雪が必要になり、その負担は高齢化した家庭に重くのしかかっています。
「ずっと住み続けられる清水に」を合言葉に、2008年に「清水地区活性化委員会」が組織され、伝統の原木なめこの事業化などに取り組んでいます。

清水の山小屋
山小屋  豊かな自然に囲まれた清水地区には山小屋が10軒余りあります。1965年に東京大学ワンダーフォーゲル部の巻機山荘が建てられて以降、大学や山岳会などの自然愛好団体、個人の山小屋が次々と建設され今日に至っています。豪雪のため、山小屋の維持管理は大変ですが、四季折々の登山、ハイキングや集会など周辺の自然を楽しむために利用されています。(各山小屋は原則非公開で、利用は関係者同伴が必要)。

東京大学ワンダーフォーゲル部
一橋大学ワンダーフォーゲル部
東京学芸大学登高会の山小屋に関するブログ
のやまの会 米子沢山荘 ブログ

ビオトープ
 清水集落の住民が地域活性への模索から生み出した「奥山ビオトープ」を起点とした生物多様性保全活動をおこなっています。2008年より現在まで、地域住民と清水集落/特定非営利活動法人ECOPLUSが、地域外、特に首都圏に住む学生、社会人とともに保全活動を継続することにより、生物多様性の価値や保全、暮らしとの関係性を互いに再認識し、持続可能な資源利用を学ぶ場としても発展しています。
本庄早稲田里山塾 「夢あふれる四季の里 清水」
Facebook 「夢あふれる四季の里、清水」


清水の歴史

坂戸城址

東京大学ワンダーフォーゲル部発行の山小屋の40周年記念「巻機山荘」第8号に掲載された「魚沼と清水峠の歴史−古代から近代まで−」と題する関直樹氏の記事を、同部の了承を得て若干修正を加え掲載いたします。下記をクリックしてページを開いてください。
1.古代の魚沼
2.戦乱の時代
3.近世の魚沼〜清水峠
4.明治・清水新道の開削


北越雪譜の描く風景

北越雪譜

 北越雪譜は、江戸時代末期に塩沢町の商人で優れた文化人であった鈴木牧之がライフワークとしてまとめた、魚沼地方の地理・風俗・文化・産業を分かり易く丹念に紹介した書物で他に類をみない優れた民俗資料です。牧之は周辺の村々を歩き回って取材した結果が北越雪譜にまとめられています。北越雪譜には100余りのテーマが取り上げられていますが、清水村について書かれたテーマは次の一つだけです。当時は清水峠は閉鎖されており、牧之は近くに住んでいながら、清水にはあまり足を向けなかったのかもしれません。破目(わりめき)山が割引岳であること、割引沢とノミオ沢、天狗岩周辺の様子が書かれているようです。

(初編巻之上 破目(わりめき)山 )
 魚沼郡清水村の奥に山あり、高さ一里あまり、周囲も一里あまりなり。山中すべて大小の破隙あるを以て山の名とす。山半は老樹條をつらね半より上は岩石畳々として其形龍躍虎怒がごとく奇々怪々言うべからず。麓の左右に渓川あり合して瀧をなす。絶景又言うべからず。旱の時此瀧壺に零すればかならず験あり。
 一年四月の半雪の消えたる頃清水村の農夫ら二十人あまり集まり、熊を狩らんとして此山にのぼり、かの破隙の窟をなしたる所かならず熊の住處ならんと例の番椒烟の茎を薪に交窟にのぞんで焚たてしに熊はさらに出ず、窟の深ゆえに烟の奥に至らざるならんと次日は薪を増し山も焼よと焚たるに熊はいでずして一山の破隙ここかしこより烟をいだして雲の起が如くなりければ、奇異のおもひをなし熊を狩らずして空しく立かへりしと清水村の農夫が語りぬ。
 おもふに此山半より上は岩を骨として肉の土薄く地脉気を通じて破隙をなすにや、天地妙々の奇工思量べからず。


 牧之の文を分かり易く解説すると次のようになります。
 魚沼郡清水村の奥に山があり、高さ一里あまり、周囲も一里あまりである。山全体に大小の割れ目があることを以て、山の名とする。山の中腹は老樹が枝を連ね、それより上は岩が重なり合い、その形は竜が踊り虎が猛るようであり、極めて奇怪である。麓の左右には谷川があり、合流して滝になり、はなはだ絶景である。旱のときにこの滝壷で雨乞いをすれば、必ず霊験があるという。  去年の四月半ば、雪融けのころ、清水村の農夫二十人あまりが、熊狩りにこの山に入った。かの割れ目のうろが熊のすみかに違いないと、例によってトウガラシ・タバコの茎を薪に交ぜて、熊を燻し出すべくうろに向かって焚き立てたが、熊は一向に出てこない。うろが深くて煙が奥まで届かないのかと、次の日は、薪を増やして、山も焼けよとばかりに盛大に焚いたが、やはり熊は出てこず、そのうち山中の割れ目そこかしこから煙が漏れ出て、雲が湧き出るかのようであった。そのため人々は奇異に思い、熊を狩らずして空しく下山したという。
 おもうに、この山は中復より上は、岩を骨として、肉である土が薄く、その隙間を地脈が気を通じて、割れ目を形成するのではあるまいか。自然の造形の妙は、人知の及ばないところである。 (初編巻之上 破目(わりめき)山 )


清水の行事

火渡り


   1月 ドント焼き(賽の神)旧正月
   2月 巻機権現 山伏 水業
   3月 御神回(昔の酒飲み行事)
   5月 巻機山山開き
   8月 巻機権現 火渡り神事
      卯年大祭
   8月 盆 十二神社、神事、ニジマス掴み取り