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日本百名山巻機山への登山は清水に宿泊が便利です。

巻機山の伝説

巻機山物語

巻機山

 昔々の話でございます。越後の国、塩沢の在に、姥沢新田という村があります。この村に、与作という大変親孝行な息子と母が住んでおりました。ある時、母親が思い胃腸病にかかってしまいました。与作は大変心配して、いろいろ八方手を尽くしてかいほういたしました。が、良くなりませんでした。その時、村の古老から「巻機山に行くと黄蓮という薬草がある。それを煎じて飲ませれば治る。」ということを聞かされました。与作は大変喜び、天にものぼるような思いでした。翌日、与作は朝早く起きておむすびをつくり、巻機山にとでかけたのでございます。だが、しかし、行けど登れど、黄蓮はなく、与作は次第に焦りの色が濃くなってまいりました。
 途方にくれ、岩の上に腰をおろして、さてどうしたものかと思案していると、山の頂上の方から「トンカラリン、トンカラリン」という機を織る音が聞こえてくるではありませんか。与作は不思議に思い、夢でも見ているのではないかと、我が身をつねったりして確かめ、頂上を目指して登っていきますと、仮の機屋がありまして、女神のような美しい娘が神業のような鮮やかな手さばきで、機を織っているではありませんか。与作は驚き、ただぼう然としてその様を見つめておりました。やがて、織り上げた娘は、与作のいるのに驚き、「どうしたんですか。」と与作に聞けば、「実はこれこれ。」とありし次第を話したのでございます。娘はうなずきながら話を聴き、「私がその薬草のあるところを知っております。私が採ってきて差し上げましょう。」と言葉を残して山に消えて行きました。しばらくすると、娘が薬草を手にして現れ、「私がその病気を治す方法を知っております。一緒に行って病気を治してあげましょう。」と娘の織った織物を手土産に与作は薬草を背負って山を下り、与作の家へと参りました。
 美しい娘を連れてきたものですから、村の人たちが驚き、たちまち村の評判となりました。そして、娘の献身的なかいほうのお陰で、母親の病気も次第次第に良くなってまいりました。母が織っていた機を織りながら、、掃除、洗濯、食事の用意と良く稼ぎ、貧しかった与作の家の暮らしも豊になり始めたのでございます。そのことが村中の評判となり、村の娘たちや女たちが機織りを習いに来るようになりました。娘も親切に教え、貧しかった姥沢新田の村も、その娘のお陰で豊かな村となったのでございます。母親は、命を救ってくれた娘にあつかましいお願いだが、息子の嫁にお願いしてみようと、また、与作もいつしか娘を慕うようになり、娘も与作に思いを寄せるようになりました。そして七月一日、娘は「今日一日、一人ですることがありますから、絶対にのぞかないでください。」と念を押して、納屋にこもったのでございます。見ないでくれと言われると、見たがるのが人間、節穴から母と与作がそっとのぞくと、驚くなかれ、大きな蛇が衣を脱いでいるのでありました。母も与作も「アッ」と声を出しました。蛇はすぐ娘に変わりましたが、正体を見られてしましました。「あれほど見ないでくれと念を押したのに、私の正体を見破られてしまってはここにいることができません。私は巻機山の化身です。孝行息子の母を救うためにまいた者ですが、その役目も終わりました。お世話になった日々、楽しく過ごしました。どうぞ幸せに暮らしてください。」と別れを惜しみ、涙したのでございます。与作母子も涙ながらに人間のおろかさをわび、ひき止めはしたものの、しょせん願いはかなうはずもありませんでした。そんな言葉のやりとりをしている中を、空がにわかにかき曇り、雷鳴荒れ狂う中を、飛龍と化して巻機山へと昇天したのでございます。
 この話を村の人達に話すと、村人達は相談をして、「巻機山の神の使いが与作母子を救い、村の娘や女達に機織りを教えてくれた。姥沢新田の村には鎮守様が無い。鎮守様として祭ろうではないか。」と話がまとまり、姫の織った機物を神として祭ることになりました。七月一日は衣脱一日と称して農休日と定め、姫の遺徳をしのび、赤飯を炊き、数々のごちそうを供える風習が今でも残っております。ちなみに、織姫と牽牛が話し合い、私達のような宿命的な恋を愁い、好きな者同士は結ばせてあげましょうということで、縁結びの神とも言われております。年一度塩沢町が日を定め、町民登山と称して巻機山登山が行われます。老若男女、織姫達も大勢参加して・・・・・
 巻機山がこの世に誕生したのはいつの世か定かではありませんが、人間がこの郷に住みつき現在に至るまで、じっと見守ってくれています。四季それぞれに装って、私達の心をなごませてくれます。塩沢町の母なる山、巻機山の物語です。

   巻機や眠る幾夜の夢を秘め   翠月


 この話は、今から五十年前、私が十六・七歳の頃、私の神社に上田神社神官、町田直樹さんという方で、三千世と号し、塩沢町誌や南魚沼郡誌等、編纂に協力された文学者、その他の方々より聞いた話をまとめたものであります。今, 姥沢新田では、十二神社と巻機神社合殿して祭っております。(茂木翠月)


 (注)これは、1994年の塩沢中学校創立記念日に語られたものを、東京大学ワンダーフォーゲル部発行冊子「巻機山荘」(巻機山荘30周年記念号)に収録したものを、茂木様と同部の許可をいただき転載したものです。